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陸奥国 会津郡 松川組 大日本地誌大系第31巻 89コマ目 この地府城の南に当り本郡の東にあり。 東は白川領岩瀬郡に界ひ二岐嶽を限とし、西は楢原組に隣り大川を限とし、南は下野国那須郡に界ひ大峠を限とし、北は弥五島組に交わり大川を限とす。 東西1里10町(東は岩瀬郡湯本村の界二岐嶽より、西は楢原組刈合村の界大川に至る)。 南北5里6町計(南は那須郡三斗小屋村の界大峠より、北は弥五島組白岩村の界大川に至る)。 東南に高山連なり西北に大川めぐり、村里大抵山麓に倚り水田稀にして多く煙草を種て生産とす。 落合・桃曽根・木原等の村々は之行の暇に竹籠を造り出し、あるいは筵(むしろ)・糸楯(いとだて)を織り、小松川村・中妻村は榧(かや)実を掇(ひろ)って鬻(ひさ)ぎ出す。 落合村・音金村・水門村より薪を伐り大川に流し府下に出す。 この組の諸村九九布郷に属し、長江荘と称す。 松川村端村:宮内、中井 原村端村:上村 木令村 杉沢村端村:韭窪 南倉沢村 野際新田村 音金村端村:赤高原、沖原 落合村小名:山崎新田 端村:佐走新田 赤岩村 桃曽根村 檜木原村小名:上村、田頭 塩生村 張平村 赤岡村 寺山村 小松川村 中妻村端村:新屋敷、宮原 本九九布村 寺村 大窪村 沢入村 水門村端村:半同田(廃)
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陸奥国 会津郡 熨斗戸(のしと)組 大日本地誌大系第31巻 112コマ目 この地府城の西南に当り本郡の西南にあり。 東は河島組に接し、西北は共に古町組に界ひ、南は日光神領下野国都賀郡に連なる。 東西3里27町計(東は河島組滝原村の界中山峠より、西は古町組大桃村の山界に至る)。 南北6里20町計(南は都賀郡の界枯木峠より、北は古町組多々石村の山界に至る)。 村里皆川に沿って畳山左右に聳(そびえ)ゆ。 地面広けれども田畝(でんぽ)少し。 殊に立岩川の上流及び水引・西根の2川の傍(そ)ふものは帝釈・田代・荒貝の3山各その南に峙(そばだ)ち地幽寂(ゆうじゃく)にして冬月雪深く盛夏にも蚊なし。 さればその民自ら古樸(こぼく)の風を失わず。 稍魚猟の利あれども他に販き生計を資くるに足らず。蠺(かいこ)を養い又布を織て産業とす。 また精舎・岩下・戸中の村々は「とりもち」と製して府下及び越後国に鬻(ひさ)き出す。 この村の諸村立岩郷に属し長江荘と称す。 熨斗戸村 伊与戸村 森戸村木地小屋:保上(ほうしゃう) 八総村 井桁村 精舎村 岩下村木地小屋:上沢 戸中村 押戸村 角生村 湯岐村 湯入村 水引村 貝原村端村:岩間戸(いわまと) 吉高村 福渡村 前沢村 塩原村 田瀬村 介木生村 小高林村 木賊村小名:新屋敷(あらやしき) 河衣村 穴原村
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陸奥国 会津郡 中荒井組 台(だい)村 大日本地誌大系第31巻 47コマ目 府城の西北に当り行程1里23町。 家数4軒、東西25間・南北35間。 東北は和泉村の端村上和泉に続き1村の如く、西南は田圃(たんぼ)なり。 北の方20間余、上和泉の民居を隔てて家数1軒。 またその北20間余に家居1軒あり。 西2町和泉村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り1町40間。 南25間出尻村の界に至る。その村まで1町20間余。 北会津村誌和泉村および台村 北会津村誌より一部抜粋 道路より西を台和泉、或は単に台村ともいって、和泉の肝 煎の支配はうけていたが、寛文五年の書上げでも、文化六年の書上げでも、ただの八軒で独立した村の取扱いを うけてきた。恐らくここに、全く系統を異にする、磐城の専称寺の末山、浄土宗正栄山台泉寺があったためと思 うが、文化六年の風土記では、これを和泉村に二ヵ寺あるがように取扱っているから、台村独立扱いの由来は、 確認は困難である。 Google Map台泉寺
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陸奥国 会津郡 楢原組 原(はら)村 大日本地誌大系第31巻 99コマ目 府城の南に当り行程8里20町。 家数5軒、東西1町18間・南北25間。 南は戸石川に傍(そ)ふ。 四面に高山壁立し、頗(すこぶ)る幽僻の地なり。 仲秋に至れば終日日を見ざることありとぞ。 東10間日影村の界に至る。その村まで2町。 西5町戸石村の界に至る。その村まで15町。 南2町計日影村の山に界ふ。 北2町計磯上村の山に界ふ。 山川 戸石川 村南にあり。 戸石村の境内より来り、東に流るること8町、日影村の界に入る。 関梁 橋 村南にあり。 長5間、戸石川に架す。 隣村の通路、土橋なり。 神社 山神社 祭神 山神? 鎮座 不明 村より戌(西北西)の方20間にあり。 鳥居あり。村民の持なり。 Google Map原橋
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陸奥国 会津郡 大塩組 十島(しふしま)村 大日本地誌大系第31巻 146コマ目 府城の西に当り行程18里。 家数24軒、東西2町・南北1町。 山麓に住し北は只見川に近し。 東12町大沼郡本組田沢村の界に至る。その村まで1里16町。 西15町寄岩村の界に至る。その村まで10町。 南18町計黒谷組荒島村の山に界ふ。 北4町45間塩沢村に界ひ只見川を限りとす。その村は亥(北北西)に当り8町。 山川 鷲倉山 村南1町にあり(寄岩村の条下に詳なり) 左越(さこえ) 村東12町田沢村に赴く路の山の尾崎をいう。 懸崕(けんがい)数十仭(じん)、只見川の碧流(へきりゅう)に臨む。 崕(がけ)の中腹に鑿(うが)ってわずかに一線の路を通ず。 険難いふはかりなし。 貞享(1684年~1688年)の頃までは桟道を架して往復せしという。 ここを会津・大沼2郡の界とす。 只見川 寄岩村の境内より来り、東に流るること30町余、村北を過ぎ田沢村の界に入る。 関梁 船渡場 村より戌(西北西)の方にて只見川を渡し塩沢村に通ず。 神社 鬼渡神社 祭神 鬼渡神? 鎮座 不明 村西30間にあり。 鳥居拝殿あり。黒谷組只見村赤塚伊勢これを司る。 Google Map鷲が倉山 鬼渡神社 只見町大字十島字左越(ストリートビュー:対岸より)
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陸奥国 会津郡 楢原組 大日本地誌大系第31巻 95コマ目 この地府城の南に当り本郡の中程にあり。 東は松川・弥五島組に隣り、西は高野組に界ひ、南は田島組に連なり、北は大沼郡橋爪組に続き、西北隅は大沼郡東尾岐組に接す。 東西3里余(東は弥五島組弥五島村の界より、西は高野組高野村の山界に至る)。 南北4里18町(南は田島組長野村の界より、北は橋爪組関山村の界に至る)。 村里多くは山間にあり。 水田少なく米穀最乏し。栗・粟・煙草を種て生計の資とす。 安張村より西の方は分て深山にて戸石村最その奥にあり、因って賊に戸石郷と称す。 大内・中倉・桜山・安張・戸石・赤土等の村々より馬を引き府下及び大沼郡高田村に出て米味噌醤油の類を買来て商売す。 1夫数匹の馬を牽に前後の序あり。常に自ら列次を乱(みだ)らず。殊に山中嶮岨(けんそ)の所多く重きを負せて顚仆(たふれふす)せば、馬の傷んことを恐れ腹帯を施さず。土俗これを仲附馬(なかつけうま)とも「どちや馬」ともいう。 又、戸石村・石井村・志源行村・日陰村は鷹を飼い、赤土村・石戸村・日影村・桑取火村・中倉村・桜山村・大内村は蕨、紫萁(ぜんまい)を採り乾して鬻(ひさ)ぎ出す。 この組の諸村楢原郷に属し共に長江荘と称す。 楢原村 上添・小山・倉村・岩本村 刈合村 成岡村 萩原村 板倉村 小池村 倉谷村 水抜村 安張村 桑取火村 磯上村 志源行村 石井村 日影村 原村 戸石村木地小屋 赤土村 桜山村 中倉村 大内村端村:沼山
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陸奥国 会津郡 黒谷組 大日本地誌大系第31巻 138コマ目 この地府城の西南に当り本郡の西端にあり。 東は和泉田組に交わり、西は越後国魚沼郡堀内組に界ひ、南は古町組に接し、北は本郡大塩組に連なる。 東西6里計(東は和泉田組小林村の界より、西は堀内組大白川新田村の界朝草峠の頂に至る)。 南北12里余(南は古町組檜枝岐村の山界より、北は大塩組蒲生村の界に至る)。 重峰四方に繞(めぐ)り村居皆山間に散布し、南の方に朝日・大鳥の二山峙(そばだ)ち、四時(しじ)多は雪絶えず。中にも叶津・只見・田子倉・石伏の四ヶ村は朝草山の東麓に在り。冬日積雲屋を埋み昼夜を弁せざることあり。居民雪を鑿(うが)ち僅(わずか)に出入を通ず。 気候大抵古町組に同じ。寒早く暑遅く農務の候平地より後れ常に二十日計の差あり。然れどもこの邊(ほとり)の諸組に比すれば土地稍(やや)潤肥にして五穀乏しからず。薪樵(しんしょう)の業ゆたかなり。また布を製し筵(むしろ)を織り蚕を飼て余産を贍(すく)はす。 習俗鄙朴(ひぼく)にして華飾を務めず。故に居民恒の産ありて生計に困せず。ただ檜枝岐川・只見川の洪水田圃(たんぼ)を害する患あり。また三月より五月までは山間の諸渓漲(みなぎ)り注ぎ、水かさ増りて両岸の残雪が爲(ため)に崩れ荒島・小川・只見・石伏の村々は船通せず。矢文を射て諸用を弁ず。所々に土堤を築いて水災を防ぐ。 この組の諸村皆伊北郷と称す。 黒谷村小名:沖、沢口、禰宜屋 端村:峯沢、阿弥陀堂、黒谷新田、釜脇(廃) 長濱村小名:深沢 泥島村 熊倉村小名:沖、熊倉新田 荒島村 上荒井村・下荒井村端村:大擧(おおあぐ) 小川村端村:荒井原、肱折(ひじおり) 楢戸村 黒沢村 叶津村端村:入叶津(いりかなふづ) 只見村端村:只見新田(廃) 石伏村端村:宮淵 田子倉村
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陸奥国 会津郡 高久組 平沢村 大日本地誌大系第31巻 33コマ目 往古は村居の地高く前に広き沢ありて水湛えし故(ゆえ)広沢村という。また月を賞するに佳なりし故月見の里とも名けしとぞ。いつの頃よりか沢埋み平地となりしにより今の名に改めしという。 旧村西2町40間にあり。何の頃にか洪水を患てここに移せり。 府城の西北に当り行程28町余。 家数23軒、東西1町・南北2町、四方田圃(たんぼ)なり。 東1町54間府下西黒川達磨分の地に界ふ。 西3町16間高瀬村の界に至る。その村まで8町30間余。 南5町31間西黒川小黒川分の地に界ふ。 北5町上高野村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り7町20間余。 また亥(北北西)の方2町39間中地村の界に至る。その村まで7町10間余。 端村 新田 本村の未(南南西)の方1町10間余にあり。 家数2軒、東西50間・南北22間。 西は黒川に臨み三方田圃なり。 山川 黒川 端村新田の西にあり。 小黒川分の境内より来り、高瀬村の地を経て北に流れ、中地村の界に入る。 この村の境内を経ること10町40間。 応湖川 村西2町30間にあり。 高瀬村の境内より来り、北に流るること5町20間余、村西にて黒川に入る。 広2間。 土産 甜瓜(てんか) この村より産するもの味美なり。 会津郡橋爪組栢原村の産につく。 水利 平沢堰 達磨分より来り田地に灌ぎ上高野村の方に注ぐ。 中地堰 端村新田の西にて黒川を引き中地村の方に注ぐ。 寺院 国姓寺 村中にあり。 広沢山と號す。 文禄元年(1593年)林廓という僧草創す。 本郡南青木組天寧村天寧寺の末山曹洞宗なり。 本尊釈迦客殿に安ず。 観音堂 境内にあり。 会津三十三所順禮の一なり。 古蹟 館跡 村より寅(東北東)の方2町10間余のあり。 35間四方、隍の形遺れり。 元亀(1570年~1573年)・天正(1573年~1593年)の頃には二国若狭實国という者居りしという。 今田圃を開けり。 Google Map広沢山国姓寺(平沢観音)
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陸奥国 会津郡 和泉田(いずみだ)組 大日本地誌大系第31巻 130コマ目 この地府城の西南に当り本郡の西にあり。 東は大沼郡野尻組に界ひ、西は黒谷組に続き、南は古町組に隣り、北は大沼郡大塩組に接す。 東西4里(東は野尻組大芦村の界鳥井峠より、西は黒谷組長濱村の界に至る)。 南北5里(南は古町組小立岩村の山界より、北は大塩組山入村の山界に至る)。 地面この邊の諸組に比すればやや狭隘(きょうあい)にて檜枝岐川の急流しばしば洪水あり。水道常ならず両岸の田圃(たんぼ)を害す。村居大抵山麓に倚り往々土堤を築き水難を防ぐ。されども平地なお多く村民質朴にして専ら耕作を業とす。故に他に仰がずして米穀常に豊かなり。 高山四方に連なり気候府下に異なれば種る遅く収る早し。因って多は早稲(わせ)を植えゆ。 農隙には丁壯(ていそう)は山菌諸草をとり、婦女は麻を績ぎ布を織り又蚕養の利少なからず。 布沢口・滝原等の諸村は布沢川を挟み最山間に住し別に一区の如し。 この組の諸村は皆伊北郷と称す。 和泉田村端村:乙沢(おとざは) 小野島村 界村小名:宇和田 端村:虻宮(あぶのみや) 片貝村小名:根木屋、宇和田 富山村 下山村小名:下村 梁取村端村:布沢 小林村小名:竹花(たけのはな)、仲田 布沢口村小名:高砂子(たかさご)、假休(かりやす) 滝原村小名:上田、中村、篠和、仲田 布沢村小名:浮島、田澤、水無、夕沢、大田、毘沙沢(ひさざわ)、川和具(かわわく) 端村:吉尾 木地小屋:田沢 大倉村端村:上田 二間在家村端村:九九生(くくりふ) 塩岐村小名:八乙女(やおとめ)、悪戸(あくど)、芹沢、天沼、間丸貝(ままるかい) 端村:八塩田(やしおだ)
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陸奥国 会津郡 滝沢組 金堀村 大日本地誌大系第31巻 19コマ目 この村、昔今の地より2町計東にありて明沢(あかるざは)と云いしに、何の頃にか京師(*1)より来る者、村東1町40間にありし高2間周8間計の大石を穿ちて許多の金を採し故(ゆえ)今の名に改めしとぞ。 貞享元年(1684年)火災に罹り同4年(1687年)今の地に移せり。 府城の北に当り行程1里12町余。 家数24軒、東西2町30間・南北46間。 白川街道を夾み南北両頬にあり。 四方に山繞(めぐ)れり。 東6町18間原組原新田村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り10町40間。 西4町2間滝沢村の界に至る。その村は未申(南西)に当り17町50間余。 南4町50間・北7町37間、共に滝沢村の山に界ふ。 また、 丑(北北東)の方9町河沼郡代田組強清水新田村の界に至る。その村まで11町30間。 辰(東南東)の方5町原組赤井村の山界に至る。その村まで26町30間。 山川 烏帽子峠山(えぼしたうげやま) 村より辰巳(南東)の方4町にあり。 高19丈余、松樹雑木茂れり。 形の似たる故(ゆえ)名けり 前坂(まへさか) 村より申(西南西)の方に登る白川街道にあり。 頂まで4町余。 滝沢村に界ふ。 沓懸峠(くつかけとうげ) 村東1町余、白川街道にあり。 頂まで4町20間。 頂にて2すじに分る。 東南に行けば白川街道にて、東北に行けば猪苗代に通る裏街道なり。 水利 戸口堰 滝沢村の方より来り、田地の養水となり下居合村の方に注ぐ。 神社 山神社 祭神 大山祇神 相殿 伊勢宮 2座 稲荷神 伊豆神 山神 鎮座 不明 村より寅(東北東)の方1町20間、山上にあり。 鳥居幣殿拝殿あり。 滝沢峠 Google Map金堀地区 烏帽子山 前坂 - 滝沢峠 沓掛峠 戸口堰 - 金堀の滝 山神社 会津藩士十一人の墓 戦死十八人墓 戦死十八人墓の案内板より 慶應四年(一八六八)、戊辰戦争の際、日橋川を渡河した西軍は大挙してこの道を急進撃し、多くの会津藩士らが戦死しました。 地元金堀・下馬渡の村民たちはこれらの戦死者を手厚く葬り、この碑を建てました。碑表には「戦死十八人墓」、道側には「明治元年辰八月廿三日金堀村」、左側には「下馬渡むら」と刻まれています。明治と改元されたのは九月八日のことでありましたから、正しくは慶應四年八月二十三日ということになります。 金堀の鎭守山神社前にも同様の戦死十一人之墓があります。 新奥の細道 環境庁・福島県